2020年08月10日

靖国へ帰れ!(Yasukuni Shrine)


靖国へ帰れ!(Yasukuni Shrine)

終戦日間近思い出す

私の父(享年86歳)は軍医として

満州に3年フィリピンに5年いた


九死に一生を得て無事帰還したが、

その間何百、何千、何万もの戦友を

亡くした


特にフィリピンへは昭和58年から2度墓参と

遺骨収集のため私と叔父を連れて行った


靖国へは2015 年9月娘が結婚のため、

家内と訪れている

それ以来ずっと玉串を奉納している


 私の父は軍医だったためアメリカ軍敵地や

フィリピンゲリラ部隊へ自ら攻撃することは

なかった


負傷兵を助ける事が使命だったため、

いつも後方で日本兵数十名に囲まれていた

「軍医は100名の負傷兵を救う」

これが理由だったらしい


しかし私の父にしてみれば

父を守るため不用意に流れ玉に当たって命を

落とした日本兵も少なくなかったと

言っていた


それが心残りだったため、帰還して私が成人に

達してから私と一緒に県内で

知っている限りフィリピンで

亡くなった戦友の墓参りに行ったものでした


 父の戦時中の功績と言えば

「難産で苦しんでいる現地フィリピン女性を

救った」ことである


終戦近くとなり食糧も底をついた頃

現地ゲリラ部隊に

殺されるかも知れない時に

一羽の鶏をもらうために

村に入り一人の難産の女性を救ったのだ


でも村人がその時日本兵の存在を

知ったことから父の上官が村人全員の

虐殺命令を下した


私の父はその上官の判断を察知してか

父の当番兵に依頼して現地住民を

逃がしたのである


だからこのサンタクララの住民は

一人も殺害されることはなかった



 1885年父と叔父と私が初めて訪れた時

は「ドクターオノ」と現地住民に

大歓迎を受けたものでした


このエピソードは今も、ここサンタクララの

学校の教科書に載っているとのことです

今の現地の子どもたちにも英雄ドクターオノと

して語り継がれているという事は

我が家の永遠の誇りでもある




靖国神社2.jpg

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満州1.jpg

満州2.jpg

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 (リサール公園・サンチェゴ要塞)

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🎥【フィリピンマニラ】冤罪の悲劇無実の叫びより
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モンテンルパ刑務所.jpg





















posted by CAMくん at 15:02| Comment(0) | 終戦記念日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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