2020年08月11日

終戦に思いを馳せる(フィリピンバイ事件の真相)

この事件は歩兵砲大隊の一人と警備員14名が

フィリピンラグナ州ロスパニオス駐屯へ

トラック一台に乗って出発し

バイ町の橋に差し掛かった時に

当時のバイのフィリピンゲリラ部隊の

手によって橋が破壊され全滅したこと

から端を発する


その報告聞いた日本軍司令部は

激怒し、米軍兵器で武装した

バイ住民ゲリラの根拠地と

なっていたせいもあってか

バイ住民全員を射殺殺害した

 
 終戦となり、このバイのゲリラ討伐が

「虐殺事件」と決めつけられ、

5人の上官が処刑されたのである


中でも大館市出身の「工藤忠四郎大尉」は

明らかに冤罪としか言いようがなかった


当時彼はアラミノスと言う所に

いたにも拘わらず、人民裁判的な

現地住民の曖昧な記憶にの証言に

より首謀者の一人としてモンテンルパの

刑務所で第一号として処刑されたのあった
 
 

 1948年8月13日 刑務所独房で

書かれた彼の遺書から 妻と子どもたちへ


「私はお国のために死んでいくのだから

決して恥と思ってはいけない

兄妹仲良く母を大切に・・・・・」
 
 

 キリノフィリピン大統領へ

「バイ事件の命令起案者として自分と

共に死刑を宣告されている戦友は

無実である」と

 
 今13階段の死刑台に上がる直前に

戦友を死の渕から救い上げようとする発想が

出て来るとは・・・


彼の立派な遺書と見事な最期に感動した

現地の新聞マニラプレスは一面を費やして

これを報じたものでした


そして、1952年7月21日彼の親友であり

あの名曲「モンテンルパの夜は更けて」の

作曲者伊藤正康氏は他5人の遺骨と

共に帰国してバイ事件は集結した


 
 彼は死刑台に上がる直前に

「フィリピン万歳、日本万歳と

フィリピンと日本を友好を望む」と

深々と頭を下げた



父の生前冤罪で処刑された工藤大尉

長男博康氏が横手の東北電力所長を

していたことから私の家に

何度か来たことがある


今も私たちは年賀状のやりとりはしています。

 
 下記は当時のバイ町長と私の父たちです

バイ小学校で自分は英語で日本の文化を

紹介した


私の父が二度目のフィリピンの訪問で

その想いを詩吟に託した

私が筝を弾き尺八奏者と一緒に慰霊祭で

よく父が吟じていた


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🎥【フィリピンマニラ】冤罪の悲劇無実の叫びより
 (モンテンルパ刑務所)Philippine Manila

モンテンルパ刑務所.jpg

🎥【フィリピンマニラ】市内を散策
 (リサール公園・サンチェゴ要塞)

フィリピンマニラ.jpg










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posted by CAMくん at 07:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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