2018年03月12日

2011.3.11 その時自分たちは

2011.3.11 2時46分、その時

寝ている母と二人家にいた



大きな強い長い揺れが数分間続いた


母が心配で母の寝ている部屋に

駆け付けた


棚に上がっていた置物程度の小物が床に

落ちたが、家自体損傷などはなかった


電源が落ち使っているフィーターも付かない

外に出たら家の前の信号は消えていた


まず、自分は地元の商店街に向かい

母のために、たくさんのホッカロンを購入した


家に帰って来て、そのたくさんのホッカロンを

母の身体の至る所に貼ってやった


そして家族の携帯に電話するが、全員に

通じることはなかった


もう既に17:00となり、近くの家々や

街灯など明かりはなく真っ暗となり、

異様な雰囲気だ


DSC_0867.JPG

DSC_0869.JPG


大雄のコンビのファミマに行ったら、明かりは

消えていたが、コンビニの従業員の女性が

手渡しで食べ物を売ってくれたのに

本当に有り難く深く感謝した



そして、家内が早く仕事から帰って来た


今のようにスマホやタブレット、車に

カーナビもなかったので、その地震情報が

全くわからなかった



家内とボクと母と三人で母の部屋で

その日は寝た



DSC_0871.JPG


次の日電気が付くと同時にTVで仙台空港と

仙台の若林区に津波が押し寄せ来た空撮映像が

流れた 一瞬家内と自分は青ざめた


何故なら次男は若林区住んでいたからだ

続く・・・・・・・・・・





















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2016年11月18日

放射染は伝染病ではない

福島第一原発の事故で横浜市に自主避難した

男子生徒(13)が、避難先の小学校で

2年生から5年生までの4年間、

名前に「菌」を付けられて、からかわれたり

暴力を振るわれたり、そして金銭を要求されるなどの

いじめを受けていたと言うニュースが飛び込んで来た

学校側の対応の悪さを指摘していた

 かつて、あの東日本大震災により

甚大な被害が出た福島第一原発機により

付近の住民や風向きにより運ばれて来たことで

放射能汚染されたところは避難区域となり

当時県外に移住したことで、子供たちがいじめに

遭ったことは、今となっては遠い昔のことだと

思っていたが、今も「ばい菌」などと言う名を

付けられていじめに遭っている子供がいることは

誠に信じがたいことである

 まず、自分が除染作業員として働いた経験から

福島へ着いて一番先に所長から説明を

受けたことは年間30ミリシーベルト〜

50ミリシーベルトの放射染を浴びると

人の命にかかわると言う説明を受けた

 「わたしは2年前から、この福島で除染の仕事に

関わっているが年間浴びた放射線量は

1ミリシーベルトに満たない」とも言った

下記は毎日仕事中下げていた放射線量計だ
DSC_0015.JPG

 当時民主党政権の時管総理の対応が

早かったと言えば、そうではなかったと言うが

それでも、原発内での放射能汚染よりは

その周囲の対応は早かったのではなかったかと

思う 何しろ私の次男の住んでいる仙台にまで

放射能が飛んで来ると噂が飛び交ったのであるから

 まず、私たちがその線量計で出た線量は

5マクロシーベルト以内の数字でした

当時の福島第一原発付近は400ミリシーベルトと

言われ、ここで何の防護もなく1時間いただけで

20人に一人が死に至るとされている

ここ、飯○村や○俣町の放射線量は

マクロシーベルト単位でミリの1000分の1なので

致死量を考えるに絶対大丈夫なのです

だから少なくとも、原発の事故が起きて

すぐ避難した人たちは大丈夫なのです

まして県外に移住した人たちは

大丈夫です まして放射染は伝染病では

ありません もし伝染病だとしたら日本中に

広がっています 福島県には人一人も

住んでいないはずです

まず、マスコミは放射染は移らない、

そして、伝染病ではないことを

詳しく伝えるべきだと思います




posted by CAMくん at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大地震情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月13日

除染作業員(元)と被災者との違いは

 現場の写真・画像などはネットに投稿しない

マスコミやテレビ局の取材には一切応えない

など、現場にいた時は、このような規則が

あった

もう、その仕事から離れて3ヶ月が経った

そろそろ口を開けても良いのではないか

 私たち作業員全員は与えられた現場の

除染作業の仕事は一生懸命にやっていたことは

確かである

毎日、毎日除染された草・枝・土などを拭取り

一日多い時では私たち10人体制で200個くらいの

フレコンパックが出来ます

※この先50km先には倒壊した
 福島第一原発がある
福島除染作業1.jpg

昨年の3月撮影、道端に生えるネコヤナギ
福島除染作業2.jpg

 時には、そこの地権者の方に、「こんな袋
見たくないのでさっさと他の場所に運んでくれ」との
指示がある場合もあった

その時には、急いで私たちは近くの仮置き場に
4tか5tトラックで運びます

とにかく地権者(被災者)の指示が優先されます

その運んだフレコンパックはクレーンでピラミット型に
積まれます

増えていく一方です

 ところで、このフレコンパックの耐久性は
何年でしょうか
除染袋などを作っているメーカーの
公式ホームページには「耐用年数3年タイプと
耐用年数5年タイプを生産」と明記があります 

※働いた当初(一年以上前)は国道や県道を通ると
 農地に無造作に、このようなフレコンパックが
 置かれていた
福島除染作業3.jpg

MADE IN CHINAと記載されているフレコンパック
使用しています

このままフレコンパックを積んだまま歳月が
どんどん経っていく

中には約1000kgの放射線物質が入っている
これから先このままで風雪に耐えて
いけるだろうか

最終処理場の中間貯蔵施設は
どうなっているんでしょうか

このままの状態が長引けば長引くほど
トラックで運び出すことにより
放射線を撒き散らして運ぶことになる

放射線物質の受け入れは岩手や宮城の瓦礫と
違い健康被害に関連する問題なので
簡単な解決策もない

この異様な光景を一日も早く無くすためにも
誰かが妥協しなければ、福島の真の復興は
ない思う

早く何とかしてくれ!との被災者の
悲痛な叫びは伝わっては来るが
見通しの立たない最終結論はどうなっていくか
見守っていくしかないのか

一日も早い福島の復興を願っている
私たちにとって国と東京電力と国民そして被災者と
作業員の皆さんが一体となり
取り組んでいかなければ
福島の将来はないと思う

国や東京電力が単独で決められる問題ではない

何よりも被災者の協力と妥協案も必要だと思う


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posted by CAMくん at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大地震情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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