2021年03月13日

あの震災から10年目の大船渡市は

A disaster area in the 10th


大船渡へ行って来ました💦


7年ぶりでした

3密を避け人はまばらでした

あの地震が起きて間もなくボランティアに訪れ

それを機に最初の被災地の現場でした


でも早い復興に自分の働いた場所が

特定出来ませんでした


お亡くなりなられた皆様のご冥福を

お祈り致します。


※大船渡市民文化会館

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※大船渡市海岸線

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🎥【東日本大震災】震災から10年目の大船渡市




※大船渡市越喜来甫嶺駅

今出山の山麓には戦前まで金山があり金の採掘を

行っていた。金のしずくの愛称

ホームに上がると、越喜来(おきらい)湾を

見下ろせます


あの東日本だ震災では築堤が防潮堤の代わりになり

線路より山側の被害は比較的軽微だったようです


フジテレビ朝ドラ「監察医 朝顔」のロケ地である


この越喜来地区では100人以上犠牲者が出ている


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🎥【甫嶺駅】震災から10年目の大船渡市越喜来甫嶺駅



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posted by CAMくん at 12:16| Comment(0) | 東日本大地震情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月24日

被災された人しかわからない

パニック障害=鬱病=摂食障害(過食症)=

嘔吐障害=不眠症って同じ分類の病状なんだ


 そう言えば?〜11月まで体重が20キロ増

昨年11月の2年後に再会し、驚く


食後嘔吐もした

「助けて!」とのLineもしばしば


その友人からの話で通院していたとの聞いていたが

ボクが拒否反応を示してから

一切連絡が途絶えている


でも、ボクの力ではどうする事も出来なかったと思う


そう言えば、その友人も東日本大震災で家も

思い出も全て津波に流されたそうです


でも仮設から今は平屋の家を建てて家族6人で

生活を共にしている


被災された人しかわからない


3.11がもう少しでやってくる

今年も被災地の追悼式に行けるかな?


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★【東日本大震災】子供たちの叫びのチャイムが鳴り続く



★【東日本大震災】石巻市立門脇小学校とその周辺



★【東日本大震災】9年目の大川小学校
 (検証 裏山に登ってみた)








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posted by CAMくん at 14:41| Comment(0) | 東日本大地震情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月17日

2011.3.11で震災された小学校で行われた卒業式は?

3月11日は、学期の最後の朝会があった

3月中旬になっても、雪が降る寒い日が

続いていた


しかし、季節も、学校の暦も、確実に

春を迎えていた


年度末の慌ただしさを除けば、

その日もいつもと同じ、金曜日の

午後の時間が、ゆったりと

流れていくはずだった


そして――、午後2時46分

地震は起きた



当時、鈴木校長は、校長室にいた

揺れが強く、あまりにも長い

しかも、だんだんと揺れが強くなっている


過去に経験した宮城県沖地震に比べて、

この揺れの強さでは、校舎が

かなり危険だと直感した


着の身着のままで校庭に避難した子どもたちに

とっては、あまりにも寒い日だった

「体育館へでも移動しようか…」

そう教員同士で相談していたとき、

大津波警報が出た


鈴木校長は、やはりこれは、

ただ事ではないと感じた


そこで、そのまま第2次避難という形にして、

校舎の裏側の高台になっている日和山に

避難することにした


実は、この2日前の3月10日の昼前にも、

三陸沖を震源とするマグニチュード7.3の

地震が発生


宮城県北部で震度5弱を観測する強い揺れがあった


この時、津波注意報が解除される前に

授業を再開してしまったクラスがあり、

「指示を聞かないということは、

命を守れない事になる」と

改めて防災体制を徹底したばかりだ


「そのときのことが、結果的に訓練になっていた」と

校長はいう


とくに、避難の時は「絶対しゃべらない」と

いうことを徹底してきた。いざというときに、

「放送が聞こえず、指示の通らない状態にはしない」と

いう指導が生きたのだ


日和山に着いてから、津波の第1波は、

まもなくやってきた


地震が発生してから、45分ほどが経過していた


渦を巻くような形で家屋が道路に流れてきて、

道を走っている車にも波が

来てしまったのを見ました

津波を目の当たりにしたのは初めてでした


そして、津波は、校舎にまで押し寄せた

校舎には、避難してきた近隣の住民に

対応するために、教頭、教務主任、

用務員、新任の教師の4人が残っていた


町に流れ込んだ津波が、学校にたどり着くまでの

時間は、あっという間だった

校舎は1階天井付近まで水没した



「日和山にまで波が押し寄せてくるのではないか」

鈴木校長は、そんな錯覚すら抱いた


日和山の一番高い部分にある鹿島御児神社まで、

子どもたちを連れて逃げざるを得なかった


学校から避難する際に、職員がブルーシートを

持ってきていた

そのブルーシートは、寒さに震える子どもたちを

風と雪から守るのに役立った


また、そのシートの中にいたために、

子どもたちは自分たちの町や家が津波に

飲み込まれる光景を見ずに済んだ


学校の東側の出入り口付近からも

火の手が上がった。町とともに、

門脇小学校の校舎は炎上した



震災から4,5日後の3月15日頃、

教頭と一緒に、黒焦げの校舎に入った



校長が気がかりだったのは、金庫だ

金庫の中には、137年の歴史を

物語る学校沿革史などの書類と、

歴代の校長やPTAの書類、

間近に迫った卒業証書などが

入っているはずだった


金庫をバーナーで焼き切っていただいて、

見たらですね

6年の担任が『証書がある』っていうんです

他の書類は、濡れていたりしたんですが、

包装紙にくるまれてあった卒業証書だけは、

水にも濡れずに、本当に見事に美しい状態で

出てきたんです」


証書を守っていたのは、コピー用紙などの

包装にも使われるワンプだ

湿気を防止するために裏側が防水仕様に

なっている紙であったことが幸いした

沿革史も無事だった


「教育活動をきちんと記した物を

受け継ぐってことが伝統・歴史になる


団結力のある門脇町や南浜町の人たちと一緒に

なって作ってきた門脇小学校の歴史ですから、

今回の地震もその中に記されて、

次につながっていくと思うんです」


「私としては、沿革史が残ったことも、

うれしかったです

明治6年からの歴史ある学校の財産

私の代で何も残さずに

終わってしまうかもしれない

ということが非常に辛かったですね


沿革史があれば、また歴史を

足していけますからね

これは、子どもたちの希望の確かな証に

なると思いました」



そして、それから一か月後に門脇中学校の

視聴覚室で平成22年度卒業式が

行なわれたのである

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🎥【東日本大震災】門脇小学校の一か月遅れの卒業式



※新型コロナウイルスの影響で各地の学校が

休校となり、辛い思いをしている子供たちや

親御さんもいますが、あの東日本大震災で

大変な思いをした子どもたちや

亡くなった子どもたちを

思うと、何だよこんな事くらいでと

思ってほしいと思う



posted by CAMくん at 07:44| Comment(0) | 東日本大地震情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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