2018年05月03日

報道されない「比マニラ慰安婦像撤去」

フィリピンの華人団体などがマニラに設置した

日本軍占領下の慰安婦を象徴する女性像が

4月27日に撤去された

マニラ湾1.jpg

マニラ湾2.jpg


安倍首相と親しいドゥテルテ氏の日本との関係を

重視する判断が影響と伝えている


ドゥテルテ氏は4月29日のフィリピンメディアの

記者会見で、像の建立や撤去はわれわれ政府が

関知しないとした上で

「日本の償いは何年も前に始まっていた 

日本を侮辱するのはもうやめよう」などと述べた


今後は公共の場への設置に反対する考えを示した

フィリピン1.jpg


そうなんです 実はボクも1985年1995年までの

10年間12度のフィリピン訪問で好意的なフィリピン人の

皆さんを知っていました


📷過去10年以上もの間毎年一回フィリピンの

戦地を訪れ、学用品や中古スポーツ用品などを

各学校へ贈った秋田17比島会の亡き団長と

バイ小学校校長とのツーショット
フィリピン3.jpg


彼らは日本の援助や日本企業の進出に、

いつも感謝していました

フィリピンの子供たちは日本語学びたい



日本に行きたいと希望している子供も

多くいます

反日教育などは一切ありません

むしろ先進国日本と国際社会へ貢献している日本の

素晴らしさを教えているようです

📷ボクたち日本人が訪れると大拍手で歓迎してくれる

フィリピンの生徒たち
フィリピン2.jpg


ましてこの慰安婦なんて、いたのかその存在さえ

明らかになっていないのです


2017年12月8日のこの慰安婦像の除幕式が

行われて以来時折訪れる現地の観光客は

この慰安婦と言う意味さえ理解できていなかったと

される 現地での取材からは、政府機関である

「フィリピン国家歴史委員会」の暴挙と、地元の華人組織を駆使した

中国の策略が垣間みえるのである
マニラ湾3.jpg


終戦をフィリピンマキリン山にいたボクの

父でした 父は戦犯容疑者として

当時終戦後3年もカランバ収容所に

拘束されていたが、その後無罪とされ

無事帰還したが当時60万人いた日本軍兵士の内

50万人が戦死


その中にアメリカ軍に殺害された兵士

フィリピンゲリラ部隊や民間人によって殺害された兵士

追い詰められ餓死した兵士

マラリヤと言う病気で死んでいった兵士

戦犯容疑者として処刑された兵士など

様々でした


数字は定かではないがアメリカと日本の戦火の

渦に巻き込まれたフィリピン人(ゲリラ部隊も含む)は

約100万人と言われている


この中に殺害された慰安婦は入っていたなどの

報道は現地でも明らかになっていないのである


🎥フィリピンマニラ市内(リサール公園・サンチェゴ要塞)


🎥 モンテンルパ刑務所(無実の叫びより)


🎥ああモンテンルパの夜は更けて 渡辺はま子


🎥ああモンテンルパの夜は更けて


🎥フィリピンの歌手サリー(Philippines singer sally)


🎥マニラのナイトクラブ(The nightclub in Manila )



















posted by CAMくん at 15:35| Comment(0) | フィリピン情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

フィリピンシンガーを舞台裏で撮影

かつてフィリピンを訪問したとき

フィリピンのナイトクラブに行きました

一番前の席で生バンド演奏をバックに

一人の小柄な女性シンガーが歌っていた

My WayとEndless Loveだった


My Wayはソロでも歌えるが、Endless Loveは

ライオネル・リッチとダイアナ・ロスとの

デュエットソングである


My Wayを歌った直後である

ある出来事が起こったのである

聞いているホールのお客様に、その女性シンガーが

自分と一緒にEndless Loveを歌ってくれる人が

いないかマイクで訴えたのである


僕が後ろを見ても誰一人手を挙げる人はいません

すると突然僕の元へ降りてきて手を引っ張り

ステージの上に連れて行ったのです


当時は、ここフィリピンでも屈指のナイトクラブで

小さな学校の体育館くらいの大きさもあり

来ている人たちと言えば8割くらいは海外からの

観光客でした


僕たちがステージの上に上がったとき大歓声と

大きな拍手が起こったのです


ステージの上から見る観客に圧倒されましたが

覚悟を決め一緒に歌うことにしました


ENDLESS LOVE Lionel Ritchie
duet w Diana Ross w lyrics

何故なら、このEndless Loveの歌は自分は好きで

運転中車の中で常に聞いていて口ずさんでいたから


自信あり、そして豪語するまでではなかったが

家内とカラオケでも歌っていたし、覚悟を決めて

歌いました


最初の歌い出しで大勢の観客の歓声と拍手で

僕たちの歌が、かき消される程圧倒されましたが

それは一瞬で静まり返り、何とかわからない内に

終わっていました 自分の歌が上手に歌えたかなど

知る由もなく、迫力のある女性シンガーに

に流されて歌ったように記憶している


終了した後の拍手も凄かった

まるで日本の有名なシンガーやスターになったような

気持ちになった


次の日、その女性シンガーが僕の宿泊ホテルに

訪れて、その日の自分の練習会場に案内してくれた

その時の3枚の写真だけが残っていた

ボディーは鍛え上げられていた
Image4.jpg

Image3.jpg

Image1.jpg

その日は、彼女の兄さんがタクシーの運転手な

こともあり、マニラ市内を案内して頂きました


あのステージに上がった夜は苦い想い出と言うよりは

忘れられない身震いするほどの想い出となりました


🎥マニラのナイトクラブ(The nightclub in Manila )


🎥フィリピンの歌手サリー(Philippines singer sally)


🎥フィリピンマニラ市内(リサール公園・サンチェゴ要塞)


🎥モンテンルパ刑務所(無実の叫びより)
posted by CAMくん at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | フィリピン情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月21日

フィリピンマバラカットに日本の神風特攻隊が最初に飛び立った場所がある

リゾート終戦特集を投稿しています。

戦後生まれの皆さんにはピンと来ないかもしれませんが、

わたしの父から聞いた話です。

戦地では手足を吹き飛ばされた日本兵、身体半分を吹き飛ばされても、

まだ息をしていた日本兵など数え切れないほど

負傷兵の治療にあたった父でした。

今、死に絶えていく日本兵は必ず最後の言葉を残す。

それは「お母さんに会いたい」だったそうです。

遠い異国の戦地にいっている日本兵にとって、

母親の存在はどれほど大きな存在だったことでしょう。

下記はフィリピン北西部に位置するマバラカットという街ですが、

ここに日本の神風特攻隊が最初に飛び立った記念碑が置かれています。

10代の若者が行きの燃料だけで爆弾一個を抱えて飛んで行きました。

今、ここでは恩讐を越えてフィリピンと日本遺族会との合同慰霊祭が行われいます。
 
神風特攻隊1..jpg

メモ今から20数年前の、フィリピンルソン島バイ小学校前での私達です。
元秋田歩兵17連隊(故団長)と校長先生
バイ小学校1.jpg

カメラ私とフィリピンの児童たちです
バイ小学校2.jpg

メモこの地区は戦時中日本兵とフィリピンゲリラ部隊との大激戦地で双方多くの

犠牲者を出した地区です。

過去15年間、この学校に日本の学用品や中古のスポーツ用品などを

贈呈し続けていた。

私には良く児童達が日本について、日本の文化を学びたい。

日本に行きたいと質問して来る児童が多くいました。また行きたいなあ。

時代も代わり、この時でさえ、反日感情はほとんどありませんでした。

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posted by CAMくん at 17:21| Comment(2) | TrackBack(0) | フィリピン情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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